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令和6年能登半島地震で後悔したこと3選

きたたく

 2024年元旦に、最大震度7の令和6年能登半島地震が発生しました。この震災で亡くなられた方に心からお悔やみを申し上げるとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

わたし自身も正月に新潟の祖父母宅におり、いままで感じたことのない強い揺れを体感し、避難しました。
実際に被災して強く感じたことは、強い揺れを感じた時にググってる時間はない、自分たちが避難すべきかどうかを判断できない、避難したあとにいつ戻っていいかを判断できないの3つです。
避難する際に後悔したことは、ハザードマップを確認しておらず避難先の選定に時間がかかったこと、帰省先での災害準備を怠っていたこと、地震の被災に対する知識が不足していたことの3つです。

強い揺れを感じた時にググってる時間はない

 被災して強く感じたことは、強い揺れを感じた時に対策を調べる余裕はないということです。地震発生時にわたしは祖父母宅で親戚あわせて6人でテレビを見ていました。16時前に祖母が夕食のお皿をテーブルに並べ始め、さすがにまだ夕食には早すぎる、とみんなでワイワイ談笑していました。
 わたしが皿を食卓から台所に戻していた時、揺れを感じました。祖母が包丁を持って刺身を切っていたため、慌てて包丁を受け取りシンクに置きました。その直後、さらに強い揺れを感じ、家の中で物が立て続けに倒れる音が聞こえました。みんなの顔を見渡すと、「冗談だよね?」というように笑みを浮かべている人が多かったことが印象に残っています。

 足元がガクガクし、祖母とテーブルの下に入りました。お皿を片しておいてよかったと、どうでもいい安堵を感じ、思考がお正月モードから切り替わらないまま、揺れに耐えていました。その時はこれから何をすればいいのかわかりませんでした。
 

 あとになって調べた情報では、身の安全を確保したあとの行動は、火の元の確認、窓や戸を開け出口を確保、物が落ちてくるため外に飛び出さないことでした(東京都防災 地震時の行動より引用)。
これらの情報は揺れを感じてから調べるのでは遅く、またその時間もないため、事前に知っておくべき知恵でした。
 祖父はわかっていたようで、すぐにストーブを切りに動きました。「ストーブを切っても揺れで腕が震えて、またスタートボタンを押してしまう」とこぼしていたことが印象的でした。

自分たちが避難すべきかどうかを判断できない

 被災して強く感じたことは、自分たちが避難すべきかどうかを判断できないことです。揺れが収まったあとはテレビを食い入るように見ていました。テレビでは、震源地が石川であること、津波の恐れがあること、そして避難する必要があることを知りました。わたしたちが居る場所は新潟県の下越のため(新潟は上から下越、中越、上越の3つに分かれる)、石川からは距離がありました。しかし海に近く、川も多いため、津波の恐れの高い地域でした。テレビでは黄色い背景に黒文字で「にげて!」の言葉、アナウンサーの女性の「いますぐ避難してください」の叫び。

 しかし祖父母は避難をしぶりました。元旦で朝から準備した料理がダメになってしまうことがいちばんの懸念のようでした。最終的に理知的な叔父の勧めもあり、避難することになりました。
振り返ると、わたしは本当に避難すべきか確信が持てず、役立たずだったなと思います。


 避難する際は車を使わない方がいいと言われています。理由は、渋滞に巻き込まれたり、車が水没してドアが開かなくなったり、ガソリンが切れて動けなくなるリスクがあるからです。
 しかしわたしたちは車で避難しました。理由は祖父母が二人とも歩けないからです。祖母は障害者手帳を持っており、昔から足が不自由でした。祖父も重い神経系の病気で継続して歩くことができませんでした。車に乗るとエンジンがかからないトラブルが起き、焦りました。幸いガソリンは満タンで、常にガソリンを備えておく大事さを痛感しました。

 街道にでるとすでに車が多く、バイパスでは路肩に駐車している車が多数見受けられました。 
その時(17時頃)はまだ避難所も開いておらず(避難所が開いたのは20時頃の記憶)、避難先がわからなかったため、とりあえず海と川から離れる方向に走りました。防災グッズや食料や飲料水を持っていなかったため、川から離れたスーパーマーケットに目的地を定めました。

 スーパーはすでに満車に近く、水は売り切れていました。いざという時の水や携帯食料の備えの大事さを感じました。わたしは自宅では、以下のLA・PITA 防災セットのカバンを準備しています。今回の地震を通じて、長期滞在先の地震の備えの確認の必要性を強く感じました。

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避難したあとにいつ戻っていいかを判断できない

 被災して強く感じたことは、避難したあとにいつ戻っていいかを判断できないことです。スーパーの休憩所でスマホのニュースを見ながら、いつ戻るかを議論しました。祖父母は車から出なかったため、叔父は祖父母のエコノミークラス症候群(静脈血栓塞栓症)を心配していました。
最終的に2時間半後に戻ると決めました。根拠としたのは東日本大震災の津波の最大波の計測時間です。結果、避難して約4時間に自宅に戻りました。同区が断水になり、一時停電になりましたが、その後は穏やかに過ごすことができました。客観的に考えると、自宅に帰らずに避難所に向かうべきだったと考えています。

上記の通り、実際に被災して強く感じたことは、強い揺れを感じた時にググってる時間はない、自分たちが避難すべきかどうかを判断できない、避難したあとにいつ戻っていいかを判断できないの3つです。
避難する際に後悔したことは、ハザードマップを確認しておらず避難先の選定に時間がかかったこと、帰省先での災害準備を怠っていたこと、地震の被災に対する知識が不足していたことです。

特に、ハザードマップは印刷して手元に置いておく必要があると強く感じました。Googlemapを見てもわかりません。各自治体がハザードマップを公開しているため、ぜひ印刷ください。

最後に、この震災で亡くなられた方に心からお悔やみを申し上げるとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

ABOUT ME
きたたく
きたたく
学習工学博士
自由に生きる人を増やしたい大学教員・経営者。
生成AIで経済的自由を達成するための知識を発信中。
元不登校から飛び級で博士号(工学)を取得した連続起業家。
プログラミングを通じて「U-22 プログラミングコンテスト CSAJ 会長賞」「IoT Challenge Award 総務大臣賞」「人工知能学会研究会 優秀賞」など40件を超える賞を受賞。
スマホアプリ会社を創業(売却)し、プログラミングスクールの会社を創業(20店舗経営)

著書:知識ゼロからのプログラミング学習術(秀和システム) 他多数
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