断る勇気――大学生こそ身につけたいNOと言う力
大学生になると、世界は一気に広がる。サークル、アルバイト、インターン、研究室、ボランティア、起業、留学。選択肢が増えるのと同時に、頼まれごとも増えていく。
このプロジェクトを手伝ってほしい。
この仕事をやっておいてほしい。
若い力が必要なんだ。
頼られるのはうれしいし、期待されれば悪い気はしない。けれど、そのたびに一度立ち止まる必要がある。それは本当に自分がやりたいことなのか。違うのなら、その依頼は自分の時間を切り取っていく。時間はそのまま人生だ。
博士課程のとき、准教授から短期間に五つの仕事を振られた。どれも意味のある業務だったが、自分の研究とは直接関係がなかった。博士課程の学生は、教員から見れば半ば部下のような立場だ。研究室を回す仕事を担うのも役割のうちだろう。
それでも考えた。研究が進まなければ何のための博士課程なのか。
研究と無関係で、しかも自分でなくてもできる仕事はすべて断った。相手は進路に影響するかもしれない存在だ。結果として准教授には強く反感を持たれた。それでも研究に集中できた。最終的には飛び級で博士課程を修了している。
断ることは逃げではない。選ぶという行為だ。もちろん何でも拒めばいいわけではない。実際、研究室の留学生の住居探しや生活のサポートは積極的に引き受けていた。自分がやりたいと思えたからだ。価値観に合い、自分だからこそ動けると感じ、やっていて納得できた。そう思えることなら、力を注げばいい。
問題なのは、深く考えずにすべてを引き受けてしまうことだ。チャンスは全部つかめ、迷ったらやれ、そんな言葉をよく目にする。経験を積むことは確かに大切だが、無条件で肯定するのは乱暴だ。勢いで引き受けた結果、犯罪に巻き込まれたらどうするのか。大学生を狙う怪しいビジネスや闇バイトも現実にある。社会とつながるほど、危うさも増す。
大事なのは、人の期待に応えることより、自分の内側の声に従えるかどうかだ。
もう一つ見落としがちなのは、頼まれごと以前に、当たり前だと思って差し出している時間だ。私は中学生のとき不登校だった。当時は、普通に学校へ行けない自分を否定していた。だが今振り返ると、あの時間があったからこそ、自分で考える力や違う角度から物事を見る視点が育ったとも思える。
もし今の自分が行き詰まっていたら、あの経験をどう捉えただろう。あの不登校のせいでこうなったと、過去を責めていたかもしれない。過去の意味は、いま立っている場所によって変わる。
断ると決めた以上、その結果は自分で引き受けるしかない。嫌われることもある。機会を逃すこともある。孤立する可能性もある。それでも選んだのなら、後になって誰かのせいにしないことだ。
断る勇気とは、自分の人生の舵を自分で握る覚悟にほかならない。
大学生は自由度が高い。だからこそ周囲の期待に流されやすい。社会人と関われば、インターンや起業の誘い、研究補助やイベント運営など、さまざまな声がかかる。そのたびに自分に問い直す。それは本当にやりたいことか。将来につながるのか。自分でなくてもいい仕事ではないか。
人生は長いようで短い。時間はそのまま自分の持ち分だ。本当にやりたいことに使うはずの時間を奪うものがあるなら、それがどれほど正しそうに見えても慎重に向き合うべきだ。
断ることはわがままではない。自分の人生を自分で背負うということだ。いまの生き方に納得していれば、過去の選択もまた意味を帯びる。他人に安易にうなずく前に、自分の人生にうなずけているかを確かめたい。
